碑をここに建てます:統合自然科学科への転学部の記録

「統合自然 Advent Calendar 2023」の 10 日目の記事です.

https://qiita.com/advent-calendar/2023/integrated-sciences

 はじめまして.「かつ」と申します.
 当記事では,筆者が(東京大学教養学部)統合自然科学科の数理自然科学コース1へと他学部(理学部化学科)から転学部する経緯と,その経験をもとにした,統合自然の新たな一員としてお伝えしたいことについて綴らせていただきます.

はじめに

  • 当記事は転学部という制度上の微妙な手続きに関する内容を扱うため,詳細について伏せて記述される点が多いです.当記事は『東京大学教養学部便覧II(後期課程)』2におおむね準拠します.
  • 当記事の内容の多くは,統合自然という学科の紹介というより,筆者の経験と立場の紹介となります.また上の理由もあり,筆者の Twitter3 にあるよりも(すなわち,筆者が他の公の場で語っているよりも)詳しい内容は掲載しません.また,大学とのやりとりについてのみであり,筆者の家族との関係には触れられません.
  • 筆者は 2023 年 12 月の執筆時点で理学部化学科の 3 年生です.転学部は制度上まだしておらず,2024 年度に統合数理の 3 年生になることで完了する予定です.事実上には終わっているため問題はないと考えておりますが,当記事の内容に致命的な欠落がある可能性や,当記事が無断に変更または非公開とされる可能性をご容赦ください.

個人的な経緯

 本題に入ります.この章は体験記としてはもっとも本質的な部分ですが,飛ばしていただいてもアドベントカレンダーの記事としては問題ないはずです.

 転学部に関わる大きな要因は,2022 年度後期のセメスターにおいて,進学選択で進んだ学科に対する心境の違いが生まれたことです.筆者は 2022 年夏に進学選択で化学科を選択しました.当時は,具体的な物の性質への興味が深く,化学や物性物理学を志していました.物理学も学ぼうと考えていました.
 そこで化学を学んでいたのですが,並行して物理学も(理学部物理学科の講義などで)勉強した中で,数学への興味を強めていきました.物理学を真に理解するには数学の細やかな知見が不可欠であると感じたわけです4.特に,量子力学は講義での内容に数学的な厳密性を感じられない部分が多く5,そのギャップを理解したい,と感じました.ところで,この時点で「物の性質を理解するにはものごとの法則を理解すべきである」という信念を感じ始め,すでに化学を離れて物理学を"まなざし"ています.
 数学の知識をつけるため,2023 年 3 月のとある自主ゼミの交流イベント6に参加し,量子力学を意識して関数解析を学ぶこととしました.(教養課程での内容よりも)高度な数学にしっかりと向き合うのは初めてのことで新鮮でしたが,もっとも驚愕したのは,ハーン・バナッハの定理と選択公理の非等価性,という内容でした.これの中身について語ることはしませんが,ともかく,筆者はここで,単に物理学を厳密に行なうためというよりも,むしろ純数学の深淵さに惹かれていたのです.化学への挫折も感じ始めていて,ここで,まず理学部数学科への転学科を志望しました.

なぜ統合自然か?

 2023 年の初夏にあって,筆者は途方に暮れていました.前章の流れののち,諸々を経て,数学科への転学科は候補から外れました7.しかし転学科を前提に行動していたため,化学科に残っても 1 年分留年しなければならないことは決まっており,加えてどうしても(少なくとも学部では)数学を学びたい,というつもりでいたため,どうにかして別の道を模索しなければなりません.大学内で所属を変えるにせよ,他の大学に編入等するにせよ,他の行動にせよ,せいぜい夏休みに入る前までに行動しなければならないため,あまり時間は残っていません.
 ここで初めて,統合自然科学科を意識しました.数学科の生活を送っていた8ため,駒場での交友関係が根強く,その輪には教養学部の友人もいました.駒場の友人達のアドバイスを受けて教養学部の各学科コースを調べ9,統合自然の柔軟なカリキュラムや数学科(大学院数理科学研究科)との連携に納得し,「ここであれば,自分の能力の範囲,自分が望む範囲の勉強が自主的にできる」という確信を持ちました.
 数理自然科学コースとしたのは,より「数学的」だからです.しかし今思えば,統合自然のコース間の違いの小ささ,特に数理自然科学と物質基礎科学のそれによって,数理が際立って数学に特化している,という見方は人によっては全く持ち得ないものでしょう.このあたりは論理を超えた感覚的な決断に依っていると思います.

 記事として,「筆者」はここで学術興味の変遷と当時の立ち位置について補足し,統合自然のカリキュラムに感じた魅力を詳説する必然性に駆られます.ゆえに当記事の,「統合自然 Advent Calendar 2023」の一員としての本質は,以下に集中します.

数学教育

 筆者はこの時点で,「物理学を駆動する数学のしくみ」に強い関心がありました.一方でメタ的に,「数学を駆動する数学のしくみ」にも目を向けています.具体的には,前者を関数解析学に託し,後者を(ひろく)数学基礎論に期待していました10.統合自然はこの周辺の分野の勉強には適任の環境です.教員の数理科学研究科との兼任が多く,講義の数もまた然り.自分の知りたい数学を学ぶのに,数学科と比較しても申し分ない場所だろう,と考えたのがひとつの理由でした.

物理学教育

 ほかに,物理学への感情も寄与しました.厳密には,物理学そのものや数学そのものよりも,形式的な数学の理論と,実在的な物理学の理論の間の意味論的関係を解き明かしたい,と信じていましたが,そんな高尚な科学哲学に立ち向かう能力を有しているわけでもない11ので,とりあえずは,目の前の今わからない現象論(これは「現象を説明する理論」の略による語である!)を,すなわち学部で習う物理学を,しっかり修めるのが目標です.
 すると数学と物理学の両立という問題と対峙します.理学部数学科と物理学科が離れたキャンパスに位置する東京大学においてこれは存外厳しいものです.例えば物理学科に行って数学は自習・自主ゼミをするだとか,工学部に行って物理工学科と計数工学科の講義を中心に両方を学ぶだとかの方法がありますが,「数学を数学者から教わる」という要素を検索条件に加えると状況は一変し,数学科(で数理物理学に携わっている教員による物理学の講義を受ける)か,統合自然か,物理学科(等,理学部の数学科以外)向けの本郷開講の数学科の講義か,それくらいでしょう(他にもあるかもしれませんが……).本郷開講の数学科の講義は数学を隅から隅まで網羅しているわけではないため物理学科はめぼしい候補になりませんでした(理学部への擁護ですが,それでも物理学や化学等に頻出の数学的話題は,物理学科開講の「物理数学」を含めばかなり学べます!).筆者はある程度厳密な数学を知りたかったので,「数学科に行かないのであれば統合自然だ」と判断しました12

学生実験

 最後に,「数学と物理学との両方ともを十分に学べる」というのですでに満たされてはいますが,それとは一線を画された数学科にはない統合自然の魅力を挙げて,単に数学科から逃げて消極的に統合自然を選んだのではなく積極的である旨を述べておきましょう.それは,(おそらくある意味で)意外にも,学生実験の存在です.「物理学は数学の意味論である」という標語的な立場を信じる筆者にとって,物理学的な実験は"数学の正しさ"を検証する試練,あるいは,「数学はこの現象を説明できるように作りなさい」と告げられる神託の場所です13.もちろん学生実験のレベルでそれほど大げさなことはない(かも?)ですが,自然科学の,数学の営みの重要な一面に触れる機会として,実験を経験する(または,させられる)に越したことはなく,ここに統合自然の本質的な強みがあると思います14

転学に関する手続きその他

 ここには学科の方々との交渉の一部が残されます.「はじめに」に記した通り,詳細は伏せられます.

 筆者が在籍している理学部では,制度上転学部・転学科が可能です.また教養学部は転学部する学生を受け入れています15.筆者はその制度を使用することになります.

 転学のためには,まず教務課に相談する必要があります.現在在籍している場所と転学先に志望する場所の両方に連絡しましょう.転学部は制度上その年度の進学選択と関係するため,前期のセメスターが終わるより前(おおよそ 6 月中?)には最初の連絡をしなければなりません.筆者は注釈16の通り化学科の教務には早いうちから話を通していて,幸いにも其方には大きな問題無く承認をいただいていたので,6~7 月に統合自然の教務の方とやりとりして請求しました.
 やりとりにおいては,まず志望動機と転学先での履修の計画を要求されます.志望動機は上にあるようなことをよしなにまとめてひとつの文章にしました.履修計画のほうは,統合自然の自由度の高さゆえに,学術的な興味だけでなく,講義間の接続を意識した組み合わせや卒業要件の理解も露呈するため,かなり慎重に選びました.最終的には「数学と物理学の講義をだいたい取る」なのですが.
 承認を得るといよいよ面談です.事務的な話以外では,こちらのやることと言えば志望動機に書いたことを詳しく説明するくらいで,本質的には自分の知見の浅さと野望の浅はかさを暴露されて問い詰められる場所です.教員と学生が対峙して腰を据えて話し合う以上,ふつうはそうなるしかないですからね.もちろん詳しいことは語れません(というより,忘れました)が,ひとつ言うならば,理論の道を見据えている筆者に対し,その道の厳しさでもって忠告されるシーンでしょうか.あるいは激励を受けたのかもしれません.
 その他は単に事務作業です.書類だとかメールだとかの話は退屈ですし非本質的なので省きたいところですが,「メールの返信を怠ってはいけない」という教訓だけは略すに略せないところです.

おわりに

 長々と語ってきましたが,なにか直接的にメッセージ性のある言明でもって締めくくることはしません.命題というのは往々にして,より多くの人に当てはまる"安全さ"を求めると,トレードオフに"安全な"主張しかできなくなるものです17.すなわち,ここで筆者が伝える言葉は,だいたい,「人生には色々なアプローチがあって,許される限り自分のやりたいものを選べば良い」,のようなことだと思います.
 しかし,そのような,ありきたりであるがゆえに今更自分が言っても魂のこもらない言葉,で終わらせることに意味はなくて,それがまさに筆者を「碑をここに建てます」と宣言させる原動力であります.筆者は自ら声高に主張することは無く,ただ,転学部をしたことの記録のみを残すのです.「転学部は可能であり,実例もある」という所詮事実でしかないはずの内容がその希少さでもって非自明な定理となる瞬間を,読者の皆様はここで目撃したはずです!


  1. 以下状況に応じて「統合自然」,あるいは「統合数理」ともします.また,当記事では「教養学部」は原則として後期課程の学部を指示します.
  2. 駒場キャンパスのアドミニストレーション棟にて配布されています.特に学生証等は必要ありませんが,学外者である読者を想定し,一応,この資料の内容をつまびらかにはあまり書かないこととします.
  3. 筆者のさまざまな事情により,@ stosclip は原則として非公開アカウントです.(2024/02/29 追記:現在は公開しています)
  4. これは少し過激な思想かもしれません,ご愛敬.この下の注釈[5]もご参照のこと.
  5. 有名な話ではディラックデルタ関数など.ここで言及した講義は進学先が決まったばかりの 2 年生向けの,量子力学の導入の講義であり,ブラケット記法に準じた発見法的,形式的な議論をもとに行なわれていました.ただし,ここでの筆者の本当の目的は物理学の非厳密性を糾弾することではありません.むしろそこにこそ物理学のある種のおもしろさがあるでしょう,そして,このおもしろさが,筆者を統合自然に向かわせた要因の一つでもあります.
  6. 統合自然と無関係なため名前は書きません.有名な自主ゼミ合宿なため,ご存知かもしれませんが.
  7. 本当は,ここで数学科を"諦め"た理由が大事なのですが,それは数学科の内部事情で公開できないと判断しています.記事の本質的な部分が曖昧なことで申し訳ありません.
  8. 在籍している理学部化学科では 3 年生になると学生実験が始まりますが,あらかじめ化学科の方々に話をつけ,3 年生以降は化学科のカリキュラムに従わないことの了承を得ていました.
  9. 上の注釈[2]にあるように,学内生は教養学部の便覧を自由に閲覧できます!
  10. 上述の「ハーン・バナッハの定理と選択公理の非等価性」が象徴的で,ハーン・バナッハの定理のそれ自体は関数解析学の定理ですが,それと選択公理との関係性は公理的集合論のメタ定理です.
  11. この記述は今でも不安に思います.「物理学は数学の意味付けである」だなんて,まるで数学の全ては物理実装可能であるかのような言説を信じていては,いつかトンデモない蟻地獄に落ちて哀れな結末を迎えてしまいやしないでしょうか……?
  12. しかし,「数学者が教える数学が,それだけが厳密な数学だ」というのはあまりにも傲慢な偏見だ!
  13. 注釈[11]もご参照のこと.
  14. 数学科への擁護ですが,他学部/科履修可能な実験を履修することで数学科にいながら学生実験を正規に履修することが可能です.数学科において理科の教員免許の獲得を目指す場合この手段が必要になります.
  15. なお教養学部から他学部への転学部は可能ですが,統合自然科学科,および教養学部の他学科である教養学科と学際科学科の中での転学科や転コースは原則として不可能です.ただし学科やコース内の隔たりの小ささから,この不可能性に問題はあまり無いように感じます.学科内の自由度については,当アドベントカレンダーの学科紹介に関する記事等も適宜ご参照ください.
  16. 注釈[8].
  17. しかし数学には,かなり広い対象で一般的に成り立つのに,相当非自明な命題が数多く存在する! 数学のこの深遠さには心を惹かれゆくばかりです.ひょっとしたら,自分のことはさておき数学の魅力でもってこの文章を終わらせてもよかったのかもしれません.